【施術関連】東洋医学・鍼灸の歴史②日本古代〜近世

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杉山和一、江ノ島

 

皆さん、こんにちは

鈴鹿市の鈴鹿ハンターショッピングセンター内にある

鍼灸整体院の院長の森田です。

東洋医学・鍼灸の歴史、事柄の要点を大まかに

紹介していきたいと思います。

 

 

③日本へ伝来

弥生、古墳、飛鳥時代にかけて

6世紀頃までに、

農耕、金属器、漢字、儒教、仏教、

暦、天文、医学、鍼灸、建築など

中国文化の多くは朝鮮半島を経由し入ってきました。

 

飛鳥時代の終わりには、

唐の法律を手本にした大宝律令の制定。

 

その中には医療制度についての医疾令があり、

その内容の中の宮内省に属する典薬寮については、

頭、助、允、大属、少属、

医博士、医師、医生、

針博士、針師、針生、

按摩博士、按摩師、按摩生、

咒禁​博士、咒禁師、咒禁生、

薬園師、薬園生、

使部、直丁の職制が定められていた。

 

 

 

 

④日本で編纂

平安時代には、

出雲弘貞、安倍真直らが日本初の医書である

​大同類聚方を編纂。

 

丹波康頼が現存する日本最古の医書である

​医心方を著す。

 

ちなみに丹波康頼​は

三国志にも出てくる後漢の霊帝の子孫の説があります。

渡来人家系ということもあり、

こういった編纂ができたのかもしれませんね。

 

↓ちなみに横山光輝三国志で登場する霊帝はこんな感じです。

とてもつらい、霊帝、横山光輝三国志

 

この当時は、そ願望の対処、占相、呪術なども

医療の一分野とされていたようです。

 

三重県で、

お馴染み国学者であり医師の本居宣長は

『平安時代には見るべき医療はなかった』

とあります。

 

源氏物語などの文学上からは、

呪詛や祟りを怖れ

もののけの跳梁に悩まされて、加持祈祷にすがったり

陰陽師に頼り固く物忌みしていたり

いかに、その時代が精神病理に

依存した社会情勢なのかがうかがえます。

治療や薬や診察は情緒にかけたり

気味わるい印象があるようですね。

 

 

 

 

 

⑤日本独自に広がる

16世紀中頃、室町末期~戦国時代から

日本独特の鍼灸技術が現れるようになります。

 

特に今の日本鍼灸独自の方法である

管鍼法は江戸時代前期に活躍された

五代将軍徳川綱吉の侍医、

検校(盲人の職能団体の最高官位)

杉山和一が創案されました。

 

↓杉山和一ゆかりの地に行ったお話

【日常】日本のモンサンミッシェル

 

 

また、農民に対しての御触書である

慶安御触書には病気の予防、健康のために

お灸を推奨されていました。

 

また、俳人である松尾芭蕉の奥の細道の冒頭にも

『三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて…』

に足三里というツボがでてきたり、

 

俳句の季語に二日灸が使われたりと

『隠れ家や猫にもすゑる二日灸(小林一茶)』

『死はいやぞ其きさらぎの二日灸 (正岡子規)』

 

日常一般的に身近な存在として

お灸をされていたことが伺えます。

 

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